8月2日(土)、3日(日)は小中学生の全国大会でした
遅くなりましたが、様子をお知らせいたします。
◆8月1日
さぁいよいよ全国大会が翌日に迫りました。
この日は移動日。
遠方ということもあり、各家庭で盛岡まで移動し、盛岡駅で14時40分に全員集合しました。
(師範は一足先に現地入り)
なんと今年はミズノ保護者会会長とナカニシ応援団長のナイス判断で初日から最終日までマイクロバス(以後MBと記載)をチャーターしての移動です。
盛岡駅に集合した後、全員MBで試合会場まで下見に向かいます。
保護者は全員で会場レイアウトと導線、インカムの通信状況を確認。そして、場所の確認も行い、翌日の準備は万端です。
その間、選手達はコートで練習を行いましたが、なんと既に神奈川の常勝軍団、神空会はコートで練習をしていました。
話を聞くと神奈川を早朝に出発し午前9時には到着、なんとそこから練習していたそうです。(恐ろしい、、、。)
選手達の練習と会場下見を終えた後は、MBでホテルに向かいチェックインした後、お約束の決起集会の開始です。
決起集会では師範と洲之内先生のありがたいお話の後に子供達が試合に向けての決意表明をしました。
その後、翌朝の買出しを各家庭で行い、飲み足りない人達は酒を調達し、部屋に戻りました。
◆8月2日
いよいよ全国大会の開幕です。
朝6時過ぎにホテルのロビーに集合し、MBで試合会場へ向かいます。
試合会場まであと少し、さぁ、気合い入れて行くぞー!!と思うや否や、ユナ母がとんでもない「忘れ物」に気が付きます。詳細は次回の記事で判明するか、しないか?こうご期待!!
到着後、AN監督と選手達は日陰を求めてアリーナ西側のスペースでアップを開始、保護者はエントランス前に並びます。(中原は出遅れたにも関わらずなぜか最前列付近に陣取りました。)
7時の開門と同時に雑踏を押し除け選手とAN監督、ナカニシ応援団長はコート中央を占拠しにダッシュ。
残りの保護者は昨日確認したスペースに荷物を置き、縄張りを確保。おかげで二日間、とてもスペースを広く使う事ができ、選手達の体調ケアにも大きく役立ったと思います。
さて試合ですが、試合は1日目に形→2日目に組手の順で行われます。
組手が2日目の理由は、怪我で選手が出場出来なくなることを避ける為と言われています。
速報の通りですが、
1日目の形試合では、中原の選手達はどんどん勝ち上がり、タイソンはベスト16まで勝ち上がる事ができました。
しかしやはり全国の入賞の壁は厚いようでベスト8の試合は惜しくも負けてしまいました。
他の選手も力を出し切り、後悔のない試合になったと思います。
形試合の後は、今年は小学生の組手が午後から行われました。
選手達は皆、力を出し切りましたが、惜しくもベスト16に届かず、中原の子達の多くはベスト32に到達、到達しなかった子も頑張りました。
◆8月3日
さぁ全国大会2日目、最終日です。
この日は、中学生の個人組手と団体戦です。
中学個人組手もそれぞれの選手が力を出し切り、いま出せる実力通りの結果になったと思います。ベスト16一歩手前のベスト32には数人到達しました。
出場者全選手、ほぼ同じレベルで紙一重の戦いを繰り広げていましたが、最後に勝つのは、高い意識で誰にも負けない準備をしてきた子のように見えました。
小学低学年の団体戦形、組手ともに予選敗退となりましたが、形はあと0.1点の戦い、組手も本当に惜しい試合でした。
団体組手ではマウスピース事件が発生しましたが、そちらも今年の10大ニュース候補にノミネートです。
◆番外編
福岡開催では元中原のオトナリ先生が決起集会に参加頂きましたが、今年は富山県のヨコヤマ監督にご参加頂けました。
非常に厳しいコート管理の中、ヨコヤマさんには中原の監督のフリをして途中選手達にアドバイス頂くなど、選手をサポートして頂きました。
また、元中原支部で岩手県在住のササキさんが、当日会場スタッフとして駆けつけてくれました。
真夏の炎天下、選手達の招集場所でサポートしてくださいました。総本部の中達也先生や、掃詰先生、大金先生と写真を撮ったり、サインをもらったりする姿を目撃されるなど、ミーハー疑惑も浮上しています。
◆まとめ
AN監督、ナカニシ応援団長、ミズノ会長の導きのもと、保護者が積極的に選手達の支援を行い、選手達も良いコンディションで試合に臨む事ができました。
また、コートから師範とSUNO先生に選手達を見守って頂きました。
保護者会の連携もよく取れていて、次世代へのtake over(引継ぎ)も心配なさそうです。
頑張った選手、暑い中選手をサポート頂いた、監督、審査の先生方、保護者の方々に御礼を申し上げますと共に締めさせて頂きます。
以上、大会の様子でした。
<後編に続きます>
0 件のコメント:
コメントを投稿